昔の暴走族が今と比べ物にならないくらい怖すぎる


昔の暴走族が怖すぎる

東京都内を中心とした暴走族の関東連合
結成されていた暴走族の連合体であるCRS連合や
東京連合を含めた大連合体の確立を狙い
1975年(昭和50年)に結成しました。

都内ではすでにCRS連合/東京連合が結成され、
ブラックエンペラーがドキュメント映画『ゴット・スピード・ユー』などに出演して、売り出し攻勢をかけます。

七里ヶ浜事件以来、警察の取締りは一段と強化され、
暴走族はこれに挑戦するかのように内部抗争を日ごとに深めていました。

結成時の規模は総人数約3,000人でした。
最も凶悪だったと言われる時代の関東連合がこちら。

昔の関東連合はどんなことをしていたのか?

少年法改正前であったため、殺人でも別荘に2年~3年弱で
娑婆に出れるので少年ヒットマンが大量生産されました。

そして合言葉は、殺人上等/メッタ刺し(抗争相手死者多数)。

22代目ブラックエンペラーを復活させる以前までは、
暴走族の喧嘩スタイルは素手の喧嘩に拘ったり、
凶器と言っても木刀・角材までと言われています。

代替わりを契機に金属バット・包丁・ナイフ・日本刀・拳銃
といった暴力団顔負けのスタイルに変更。

この世代の抗争はタイマン勝負やステゴロ勝負よりは
奇襲/襲撃/拉致監禁/刃物を使った刺し喧嘩が主流となりました。

各地区で有名人(ビッグネーム)になっている人達は
・めった刺し(殺人)
 ・キチガイ度(拷問)
 ・鬼畜度(ヤキ)
 ・凶暴度(喧嘩の強さ)
の4拍子が揃った人達が有名になっていた時代でした。

そして、関東連合と同じくらい有名な暴走族として
ブラックエンペラーがありました。

ブラックエンペラーとは

ブラックエンペラーは東京都国立市の少年を中心として、
オートバイ好きの不良少年が集まって結成されたのが始まりとされている。

1970年代­末にはメンバー数が2,000人を超える大規模な暴走族。

ブラックエンペラーは、1960年代末頃から1992年にかけて存在した日本の暴走族。
本間優二、蛯澤賢治、イカンガー岩崎、金崎浩之、宇梶剛士、松嶋クロスなどが所属していました。

関東連合総長、永福町卍黒帝会OB。
90年代チーマー全盛期に暴走族・永福町ブラックエンペラーを復活させます。

昭和52年世代はチーマーがメインだったが、
昭和53年の悪の帝王/残虐王子こと見立真一が復活させた
『永福町ブラックエンペラー』が関東連合を徹底的に仕切っていた。

従来の暴走族のように集会・集団暴走ではなく、
威嚇行為・喧嘩・凌辱・抗争・拉致監禁・脅迫が活動の中心でした。

現代の暴走族

ヘルメット着用が掟の真面目な暴走族?も・・・

かつては厳しい掟と上下関係、揃いの特攻服で結束を誇っていた暴走族も様変わりし、
現在は上下関係を嫌がる若者は入りたがらないそうです。

グループに参加せず少人数での散発的な暴走行為をする「サークル化」が進み、
TwitterやLINEで呼びかけて来たい人だけが集まる形になっているとか。

取り締まりが厳しくなったこともあるようですね。

ネットでの反応

・今のクソガキより100倍こえぇ

・盗んだバイクで走りだしたらヤキ入れられるんかw

・90年代より80年代が怖い

・けんいちは今でも有名な893だよ。ブログもある。

暴走族でも上下関係を嫌う若者を「ゆとり化」と言う人もいるようです。

あなたにオススメの記事

⇒ ヤクザの世界で生きる極道の女たち…刺青姿が芸術的だと話題に