世界各地の最強と言われた歴史上の戦士達9選…
目覚ましい戦果を挙げていた…
歴史に登場する国家や帝国の強さはその兵の強さと比例していました。
将来的な成長と権力は精鋭たちが戦場で発揮した力を見ればおおよそ予測できた。
そうした屈強な戦士たちの中でも
特に精鋭とされる世界各地の強者たちを紹介します。
スパルタ軍
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映画「300」でも取り上げられたスパルタ軍。
古代ギリシャ世界で最強の重装歩兵軍を誇り、
ペルシア戦争ではギリシア軍の主力であった。
ペロポネソス同盟の盟主となり、
アテナイを破って一時期はギリシャ世界に覇を唱えた。
他のギリシャ諸都市とは異なる国家制度を有しており、
特に軍事的教育制度は「スパルタ教育」として知られる。
生まれた直後に健康な子かを調べて、
健康だとみとめられない場合は、
崖から落とされて殺されてしまいます。
そして7歳になると家族と引き離され、
30歳になるまで男だけの集団生活を行うのです。
このような訓練で身についた結束力は強く、
古代ギリシャ最強の軍を誇っていました。
侍
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侍とは刀を持ち武芸に長け
大名などに仕えた日本の武士を指します。
戦国時代から江戸時代にかけて戦乱の時代に翻弄され、
数奇な運命を送りました。
侍の歴史は平安時代頃に身分の高い人々にお仕えして
その身辺警護をする人達を侍と呼ぶようになった事からはじまりました。
この時代に侍と呼ばれていた人達は武士の中でも比較的身分が高い位の人達でした。
さらに、日本の侍達は、
武士道と呼ばれる独自の理念、思想を持っていました。
武士道の礼儀や心得などは「武家」によって色々と解釈が異なりますが、
一般的に「自らの行動や責任に命をかける」、「一命を賭して殿に仕える」、
「失敗をした際には自分の命を捨てる覚悟を持つ」などというものでした。
これらの「命をかける」という思想から、
日本の侍には切腹という文化が生まれました。
マオリ族の戦士
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勇敢さと獰猛さで知られるマオリ族の戦士たちは
ハプと呼ばれる約100人の部隊で行動し
連携をとって戦闘を行います。
また男性だけではなく
女性も戦うことで知られています。
マオリ族は、明け方に奇襲をかけるのが得意で
熱帯雨林など厳しい自然環境のなかでも
迅速かつ音を立てずに動くことができたため
他の部族から非常に恐れられました。
バイキング
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バイキングといえば海賊というイメージですが
元々は、海賊だったわけではなく
漁師と農業を営んで生活していました。
しかし食糧危機や貿易交渉のために
海に出たのをきっかけに略奪行為が始まったといわれています。
バイキングの装備は剣、斧、盾に鎧といった
きわめて典型的なものでした。
ペルシアの不死隊
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アケメネス朝ペルシアの定員1万人の重歩兵の精鋭。
不死隊に選ばれることは非常に名誉なことであった。
その名はヘロドトスがアタナトイ(不死の意)と呼んだことが起源です。
ヘロドトスがアタナトイと呼んだのは誰かが死んだり、負傷したりすると
すぐに別の兵士が補充されたためだ。
敵からすると常に一定数の兵士がいるように思え、
これが不死や復活を連想させた。
装備もまた洗練されたもので鎧は金で輝いていた。
ヘロドトスによれば、藤の盾、槍、剣、大型の短剣、弓を使用したという。
また、ペルシア風の頭飾りをかぶっていたという。
イモータル(神々の軍団)
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イモータルは10,000人の勢力で
ペルシャ戦争の際に最前線で戦った軍隊です。
戦闘中に誰かが死傷してもすぐに
兵の埋め合わせが効くその兵士の多さから
「イモータル(不死)」という名が与えられました。
その装備は、洗練されたもので
戦士達は金に輝く鎧を着ていたといわれています。
また盾や槍、大型の短剣、弓などあらゆる装備を使用しました。
ジェノヴァのクロスボウ兵
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バレストリエーリ・ジェノベージはジェノヴァ共和国の有名な兵団であった。
イタリア勢力と外国勢力のどちらに対しても傭兵として立ち回った彼らは、
熟練の兵士であることに加え、比較的多数の兵士を動員できたことでも重宝された。
専門的なクロスボウ兵を揃えることができた理由は、
当時のジェノヴァの海洋政策に起因するようだ。
ジェノヴァはガレー船に対して一定数のクロスボウ兵を乗船させることを義務付けていた。
無論、そうした法律があったとしても文字通りに遵守されるわけではないが、
ジェノヴァが海洋の覇権や交易の面で成功を収めることができた理由の1つに
クロスボウ兵があることは間違いない。
彼らはスクード・パヴェーゼという大型の盾で身を守りつつ戦った。
長弓よりも軽い力で扱えるクロスボウではあるが、
それでも思った以上に大変な作業だったろう。
モンゴルの射手
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モンゴルの弓騎兵は牛や羊やヤギなどを生活の糧とする狩猟民でした。
人生のほとんどを馬に乗って過ごす彼らにとって馬を自分の体の一部でした。
彼らの武器は動物の腱や角、木で作られた堅牢な弓で、
圧倒的な移動力と攻撃力を誇っていました。
ローマの兵士レギオナリウス
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ローマ軍団の正規兵のレギオナリウスが身に着けている甲冑は
古代戦争史において最も象徴的なシンボルの一つです。
ローマ軍の基本戦術は密集陣形による機動的な組織戦。
会戦開始時には一斉にピルムを投げて敵陣に損害を与え、
接近戦になると斬るよりも突き刺すことに徹した短剣グラディウスを用いた。
2列目以降の兵が構えるスクトゥムも組み合わせて、
前面だけでなく隊列の上部も覆い、飛来する矢の雨を防ぐ
テストゥド(亀甲隊列)は映画などにもよく登場。
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レギオナリウスに入るにはローマ人でなければならず、
25年もの間、軍に従事することを強制させられていました。
映画でも題材にされている戦士達も多く、
戦士達の強さは全世界が知っているところ。
銃撃戦がなかった当時は己の腕1つで闘っていました。
今では銃が当たり前でその性能によって勝敗が決するようになりましたが、
当時の己の腕と知略で闘うっていうのはいいものがありますね。