死刑執行時に目隠しを拒否した女性…
その後、彼女がとった行動は更に信じられないものだった…
数奇な運命を辿った伝説の女性
1976年8月17日、オランダで生まれた
マルガリータ・ヘールトロイダ・ツェレの家庭は裕福だったものの、
母親が亡くなって父おたが事業に失敗して家族は離散。
マルガリータは15歳で独り立ちすることになりました。
この後、自分に待ち受けている運命も知らずに‥。
マルガリータは後見人が住むライデンに移住し、
19歳の時に海兵隊士官と出会って2人はまもなく結婚。
夫の駐留先であるインドネシアに帯同、
マルガリータはすぐに現地も馴染んでいきました。
でも、夫は酒に溺れて梅毒を患い、
2人の子供に恵まれたものの病弱で亡くしてしまいました。
この頃から、マリがリータはエキゾチックな趣味の世界に没頭していったのです。
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マルガリータが自分のことをマレー語で「太陽」を意味する
「マタ・ハリ」と名乗るようになったのはこの頃からでした。
1902年、マタ・ハリは夫の元を去って単身パリへ移住し、
モデル兼エキゾチックな踊り子として生計を立てるようになりました。
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マタ・ハリはすぐにパリで人気になり、1905年にヨーロッパを巡業して
「パリの神秘の舞姫」「優美なるヒョウ」と称賛されました。
マタ・ハリのショーは非常にエロティックな演出として知られ、
官能的な魅力で人々を虜にしていったのです。
名声を手に入れたマタ・ハリは高級士官や政治家を相手とするヨーロッパ随一の高級娼婦へ。
そして1915年には踊り子を引退してオランダで再婚。
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しかしこの穏やかな生活は長くは続きませんでした。
夫が第一次世界大戦の兵役に徴兵されたのです。
その後、負傷した夫がフランスの病院に入院しているという知らせがマタ・ハリの元へ届きました。
愛する夫を見舞うためにビザの申請をしたマタ・ハリでしたが、
フランス当局はビザを発行する代わりにドイツでのスパイ活動を求めてきたのです。
死刑執行時に目隠しを拒否した女性
マタ・ハリが夫に会うためにはこの提案を受け入れるしかありませんでした。
そしてかつての仲間のつてで当時のドイツのヴィルヘルム皇太子に接近。
しかしこれといって、有力な情報は得られませんでした。
間も無く、ドイツ側にマタ・ハリがスパイであることが発覚して、
今度はドイツからも二重スパイとして情報を提供するように求められました。
次第にフランス側もマタ・ハリを疑うようになり、
偽の情報を流したところ、ドイツに筒抜けだったことが判明。
マタ・ハリは1917年2月13日にフランス当局に逮捕されてしまいました。
逮捕されたマタ・ハリは裁判にかけられて死刑を宣告。
1917年10月15日、マタ・ハリの死刑が執行されました。
マタ・ハリは銃殺隊に向き合った際に目隠しを拒否、彼らにキスを投げたという逸話も残されています。
真偽は定かではありませんが、マタ・ハリの41年の人生はこうして幕を閉じたのです。
国際政治に翻弄されて、死刑になったマタ・ハリ。
ちなみにマタ・ハリがドイツにもフランスにも有益な情報をもたらしたという記録は、一切残っていません。
自分の手で人生を切り開いたマタ・ハリの名は今でも伝説として歴史上に刻まれ、映画やミュージカルとして作品化されています。