CTスキャンなどで明らかとなった歴史的遺物の中身10選…
CTスキャンなどで明らかとなった歴史的遺物の中身
ここ近年では歴史的建造物の調査にCTスキャンや
様々なハイテク機器が使用されているのはご存知ですか???
今までは何か見つけたってなるととりあえずぶっ壊していたそうですが、
今では壊さなくても中身が分かるようになったんですね。
1. リネンの包帯で包まれたメレサムン
![](https://kwsklife.com/wp-content/uploads/2019/08/b71bc80c.jpg)
メレサムンはアモン・ラーの神域であるテーベのカルナック神殿複合体において女流歌手でした。
紀元前800年に30歳ほどで亡くなったという。
豪華に装飾された棺(トップの写真)におさめられていた彼女のミイラは
1920年からずっとシカゴ大学の東洋研究所に保管されています。
棺はとても厳重に封印されていたため、
幸いなことに誰も開けようとしなかった。
さもなければ美しい外装が損なわれてしまったのでしょう。
2009年、シカゴ大医療センターの256スライススキャナーを使って
メレサムンはCTスキャンにかけられました。
これで棺の中から包帯の下までのあらゆる層をヴァーチャルにひもとくことができ、
残っている皮膚、腱、筋肉、詰め物、体に施された防腐処理、骨格まで詳細がわかりました。
彼女には親知らずを含むすべての歯が残っていて、
虫歯はひとつもなく、右足の親指に腱膜瘤があったという。
死因がなんであれ、このミイラの体にはその痕跡が見当たりません。
2.カロリング朝の壺の中身
![](https://kwsklife.com/wp-content/uploads/2019/08/c3617ac3.jpg)
2014年、スコットランドのダムフリースとギャロウェイで
金属探知機愛好家が発見したバイキングの秘蔵品が発掘されました。
それらはさまざまな国や文化の銀塊、純金、銀の装飾品、ガラス玉など100点以上もの貴重品でした。
二層目の地層からはふたでしっかり封印された銀合金の壺が出てきました。
壺の様式や装飾から780年から900年の間、
西ヨーロッパにあったカロリング朝の一品であることがわかった。
銀合金中の銅の腐食によって壺はグリーンに変色しています。
考古学者たちは内容物が不明なまま、ふたを開けて
中身を損なう危険は冒したくなかったため、CTスキャンにかけることにしました。
その結果、アングロサクソンの透かし細工のブローチ、
4つの銀のブローチ、金塊、金メッキされた象牙の玉が
それぞれ布のようなものに保護されておさめられていることがわかりました。
3.最も月数の短い古代エジプトの胎児のミイラ
![](https://kwsklife.com/wp-content/uploads/2019/08/fd2c2071.jpg)
ケンブリッジ大学のフィッツウィリアム美術館が
「ナイルの死:古代エジプトの遺物の謎を解く」という展示会の準備のために、
後期エジプトの小さな棺のスキャンを行いました。
紀元前664年から525年頃の美しい彫刻が施されたシーダー材のこの棺は
1907年ギザで発掘されてからこの美術館に所蔵されています。
中には黒い樹脂でコーティングされたリネンの包帯でくるまれた包みがおさめられていました。
この包みはとても小さく、棺も43センチほどしかないため、
中身は防腐処理された臓器ではないかと学芸員は考えました。
棺を展示する前に、包みの中身を探ろうとしたがレントゲンでははっきりしませんでした。
マイクロCTにかけたところ包みの正体は小さな胎児のミイラであることがわかりました。
頭蓋と子骨盤は破損していたがすべての手足の指、腕や足の長い骨がスキャンで確認でき、
放射線学者は骨の長さから、妊娠16~18週の胎児だと断定しました。
エジプトで胎児のミイラが見つかることはまれで
ツタンカーメン王の墓から見つかった2体の胎児のミイラは25週と37週だったので
この胎児は間違いなくもっとも月数が短い。
小さなミイラは新王朝のファラオのように胸の上で腕を組んでいました。
後期のミイラ化技術の質は急激に悪化し、
多くのミイラの体の一部が欠損したり、
骨の関節がはずれてバラバラになってしまったりしたが、
この胎児は最善のケアを受けてあの世に旅立ったようです。
4. ベスビオス山噴火の犠牲者の石膏遺体
![](https://kwsklife.com/wp-content/uploads/2019/08/1e5cfca9.jpg)
ベスビオス山は紀元79年8月24日に噴火、
大量の細かい灰と軽石の雨がポンペイをパニックに陥れました。
続いて発生した火砕流が積もった灰と軽石の層を固め、
倒れた人々はその下に埋もれてしまいました
灰と溶岩と火砕流のガスがたちまち遺体を固め、
時間がたつにつれて柔らかい組織は腐敗してなくなり、
灰の層の中に骨格の跡だけが残されました。
数世紀後、ポンペイの発掘が始まり、
作業員たちは灰で固められたこれら遺体の中は空洞であることに気づきました。
1863年2月、考古学者の草分けであるジュゼッペ・フェイオレッリが
この空洞に石膏を流し込み、固まった火山灰を削り取って、
埋もれていた犠牲者たちの最期の苦悶の瞬間を再現しようと考えました。
最近、復元された石膏模型のいくつかが初めてCTスキャンにかけられました。
その結果、ポンペイ人たちは虫歯が1本もないすばらしい歯をもっていたことがわかりました。
当時の水に自然とフッ素含有量が多かったことがその理由のひとつだという。
固まった灰で完全に包まれた状態だったため、
これまでには見られなかった遺体や遺物の詳細がわりました。
赤ん坊を抱えた母親の隣で見つかった子どもの全身骨格は完全に無傷で残っていて
スキャンによって彼は2~3歳の幼児でこれまで衣服の結び目だと思われていた胸のでっぱりは
実はゴールドの留め金であることが判明しました。
5.宇宙服
![](https://kwsklife.com/wp-content/uploads/2019/08/cac91581.jpg)
これは遺物という範疇ではないですが、
2010年、スミソニアン国立航空宇宙博物館は
アメリカの13都市を巡回する展示会のため、
初期の宇宙服の内側を見てみました。
皮肉なことに宇宙の彼方までの長旅に出た宇宙服は現在は非常に脆くなっていて、
アメリカ国内の狭い範囲での巡回にも耐えられそうにありませんでした。
そのため、スミソニアンは写真家のマーク・アヴィーノに
これらのレントゲン写真を撮ってもらい、
その画像を基に訓練やマーキュリーやスカイラブのミッションで
着用された宇宙服33着の等身大レプリカを作りました。
その結果、NASAの宇宙服技術の進化の変遷がよくわかりました。
スミソニアンは訪問者が宇宙服の外側も内側もよく見えるように、
新たなレントゲンをとりました。
世界中の歴史的遺物にCTスキャンにかけまくったら凄い発見が出てきそうですね。