沖縄民謡の調べと、独特の歌詞で若者から大人まで支持された
THE BOOMの大ヒット曲「島唄」。

1993年6月21日、「島唄(オリジナル・ヴァージョン)」が全国発売となり、
150万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。

今回はそんなTHE BOOMの名曲『島唄』の本当の意味を紹介します。


大ヒットとなったTHE BOOMの名曲『島唄』

当時、THE BOOMの名曲『島唄』は
全国発売の要望もありましたが、沖縄出身でもないし、
当時の沖縄ブームに便乗するのも嫌だと言う事で固辞。

しかし、沖縄出身の議員から「島唄は沖縄音楽のコピーだと非難されてるが、
魂までコピーすれば立派なものだ」と応援され、
島唄の全国発売に踏み切ります。

結果は累計170万部の大ヒットになりました。

さらに、2001年、アルゼンチンの歌手アルフレッド・カセーロが
無断で勝手に日本語のまま島唄を歌い、現地で大ヒットしました。

宮沢氏が現地に行った時、カセーロ氏から謝罪され、
カバー代金も払うと言われましたが、
多くの人に聴かれるのは本望だと無償で許可。

その後、サッカーの2002年日韓ワールドカップ
アルゼンチン代表チームの応援曲として起用されています。

この話題がきっかけで日本でも再ヒットし、
10万部を売り上げたといいます。

そんな島唄ですが、
2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、
「島唄」の創作秘話が語られています。

島唄の創作秘話

「島唄(しまうた)」は
本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは
沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。

そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、
本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で
大勢の住民が犠牲になったことを知った。

捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。
極限状況の話を聞くうちにぼくは
そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)
の中にいるような造りになっている。

このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると
ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。

「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」

という下りだ。

「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが
この部分は本土で使われている音階に戻した。
2人は本土の犠牲になったのだから。

引用:2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)

02年夏。ぼくはアルゼンチンのマルチアーティスト、アルフレド・カセーロとともに沖縄の竹富島にいた。石垣島から船で10分。赤い瓦の伝統的な建物が美しいこの島では以前に「島唄」のビデオクリップを撮影したことがある。ぼくらは2人並んで海に浮かぶ月を眺めた。

翌日は沖縄本島のひめゆり平和祈念資料館に向かった。彼は、沖縄地上戦を生き延びたおばあさんの体験談に強い衝撃を受けたようだった。陽気な彼は黙っておばあさんの語りに耳を傾けた。

最後はコザの民謡酒場。夜が更けるほどに泡盛を飲み、一緒に民謡を歌いながら、彼はぼくが「島唄」に込めた意味を全身で受け止めてくれた。

ぼくにとって沖縄は本当に大切な場所だ。多くの人々との出会いがあった。

自分で「島唄」を作っておきながら、「本土出身者のぼくがこの歌を歌っていいのか」と悩んだことがあった。その時、「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉でぼくの背中を押してくれた人がいた。「花」を始めとする多くの名曲で知られる喜納昌吉さんだった。

沖縄はまた、大人になって出会った「ふるさと」でもある。特に竹富島は「隠れ家」のような場所。島を歩いていると、おばあさんから「あんたかい、『島唄』を書いたのは」と声がかかったりする。ゆったりとした時間が流れる沖縄は、自分が「人間」という生き物であることを改めて教えてくれる。

引用:2005年09月01日 朝日新聞朝刊

島唄の本当の意味

歌詞)
でいごの花が咲き
風を呼び 嵐が来た

意味)
災厄を告げるというでいごの花が咲き、

(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した

歌詞)
でいごが咲き乱れ
風を呼び 嵐が来た
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう

意味)
でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、

寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された

歌詞)
ウージぬ森で あなたと出会い
ウージぬ下で 千代にさよなら

意味)
サトウキビ畑であなたと出会い

(ガマ)鍾乳穴の防空壕で 君が代にいう永久の御代との別れ

歌詞)
島唄よ 風にのり
鳥(しびとの魂)と共に 海を渡れ

意味)
島唄よ 風にのり

しびとの魂と共に 海を渡れ

歌詞)
島唄よ 風にのり
届けておくれ わたしぬ涙

意味)
島唄よ 風にのり

本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を

歌詞)
でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花

意味)
でいごの花も散る1945.6.23に

戦闘も終わり、宝より大切な命が散り、
生き残っている者もあまりいない
日常生活は、簡単に消え去った

歌詞)
ウージぬ森で うたった友よ
ウージぬ下で 八千代ぬ別れ

意味)
さとうきび畑で謡いあったあの人は

防空壕の中で、戦闘によって死んだ

歌詞)
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
(*繰り返し)

意味)
沖縄民謡よ、風に乗って

魂と共に、海を越えて
(あの人の居るニライ・カナイ=天国へ)

歌詞)
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を

意味)
島唄よ 風に乗り

(ニライカナイへ)届けておくれ 私の愛を

歌詞)
海よ
宇宙よ
神よ
いのちよ
このまま永遠に夕凪を

意味)
海よ

宇宙よ
神よ(豊穣をもたらす)
いのちよ(何物にも代え難い命という宝よ)
このまま永遠に夕凪(平和)を(祈る)

◾️でいごの花
春から初夏にかけて赤い花が咲く。
見事に咲いた年は天災に見舞われるという言い伝えがある。

◾️洞窟
沖縄は石灰岩の土壌で畑の下には多くの洞窟や鍾乳洞(ガマ)がある。
米軍の攻撃や、自決などでガマの中で多数の民間人が犠牲になった。

宮沢和史さんの記事にあるとおりGoogleで”okinawa cave”で
検索すると当時の写真が多数出てくる。
第二次世界大戦の記録をしているアメリカ海兵隊のウェブサイトにある、
沖縄戦のページに掲載されている。

◾️ニライカナイ
沖縄の民間伝承で東の海のかなたにあると考えられている異界。
豊穣や生命の源であり、神界でもある。

年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、
年末にまた帰るとされる。
また、生者の魂もニライカナイより来て、
死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。

◾️千代、八千代
国歌、君が代の歌詞に合わせて韻を踏んでいる。

プロモーションビデオで宮沢和史さんが白の上下の服を着ているのは
死者が着る死装束(しにしょうぞく)を表しているとも考えられます。

1940年代、日本は戦争をしました。
この戦争は世界でも類を見ない世界大戦と呼ばれるほどの大きな戦争でした。

当時、世の中は白人社会が世界を席巻し、
有色人種であるアジアの国々は白人国家により、
国の富は奪われ、人民は搾取の対象となり貧困にあえいでいました。

日本はこのアジア諸国に行き、
アジアの国の人たちに 勉強(学問)を教え、戦い方を教え、
そして共に戦ってアジアの国を占領している白人を追い出したのです。

自由になったアジアの人たちは自らの国を取り戻し始めました。

しかし、これも長く続きませんでした。

共に戦ったアジアの国々はまだ発展途上であり、急には強くなれず、
日本の力だけではどうにもできなくなっていったのです。

やがて富を狙う敵国から凄まじい反撃を受けたアジアの国々は、
再び国を追われ、日本も撤退を余儀なくされていきます。

そしてついに状況は好転せず。
敵国は日本の沖縄県にまでやって来たのです。

日本はすでに武器や弾も船や飛行機も
その燃料までもが底をつき始めていましたが、
沖縄県を護るために戦うことを決意します。

陸では日本各地から集まった兵隊と沖縄県の人たちが協力し、
敵を沖縄県に上陸させないように戦いました。

これに対しアメリカ軍は、畳一畳に数発という
砲弾の雨を沖縄県に降らせたのです。

沖縄県はほとんどが破壊され、
日本兵と沖縄県の人たちの抵抗は少なくなっていきました。

日本の兵隊と沖縄県の人たちは 洞窟に追い詰められ、
水も食料も無い状態で次第に衰弱して行きます。

海では世界で一番強い日本の船『大和』が、
昭和天皇の命令により大和は山口県の港から沖縄県を助けに出撃しますが
敵の凄まじい数の飛行機には勝てず、
沖縄県にたどり着くこと無く沈みました。

空では爆弾を抱えた日本軍の2000機の飛行機が、
沖縄県を囲むアメリカの船に体当たりするため
九州や台湾から飛び立ちました。

いわゆる神風特別攻撃隊の方々です。

日本をそして沖縄県を護るために自ら飛び立った彼らは
一度飛びたてば帰ることはなかったのです。

先人の 命を懸けた攻防を知るとき
日本の真の姿がはっきりと見えるような気がします

祖国のために犠牲になられた
沖縄の人々の魂に心から哀悼の意を捧げます。

あなたにオススメの記事

⇒ 昭和天皇の玉音放送の本当の意味…本当は敗戦でも降伏でもなかった…