1961年に海で発見された少女…
生き延びた少女が語った真相が怖すぎる…
1961年に海で発見された少女
1961年11月、ヂュペラルト一家はブルーベル号で
バハマまで船旅に出かけました。
連れは妻のメアリーと長男のブライアン(14歳)、長女のテリー(11歳)、
そして、次女のレニー(7歳)の4人です。
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操縦者は元空軍中佐のハーヴェイ。
助手として妻のメアリーも搭乗していました。
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残念ながらブルーベル号は11月8日に出港しますが
バハマに到着することはありませんでした。
11月13日、プエルトリコへと向かうタンカーの
搭乗員が海に浮かぶ救命ボートを見つけます。
確認すると男性が手を振っています。
操縦者のハーヴェイでした。
「助けてくれ!!」
救助されたハーヴェイは事のあらましをこう語りました。
「原因はわからないけど火の手があがったんだ
その勢いは凄まじくて妻や乗客を助ける余裕はなかった
自分一人が生き延びるので精一杯だったボートの上でヨットが沈むのを呆然と眺めていると
女の子(次女のレニー)が浮かんできた。この子だけでも何とかしようと思ったんだが手遅れだった」
近くの港で海上保安員の尋問を受けましたが
ハーヴェイに怪しい点は見当たりません。
地元では有名な男であり、
故意に船を沈めたとも思えずハーヴェイは解放されます。
3日後、事態が急展開
事態が急展開したのはそれから3日後のこと。
11月16日、ヒューストンへと向かう貨物船の搭乗員が
海に漂うイカダを見つけました。
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その上では少女がぐったりとしています。
長女のテリー(11歳)です。
ヘリコプターでマイアミの救急病院に運ばれたテリーは
一命は取り留めたものの衰弱が酷く、
話せる状態ではありません。
マイアミに戻ったハーヴェイは
テリーが救出された旨を知らされ
「oh my God!」
と告げたのです。
なぜ「oh my God!」なのでしょうか。
「oh my God!」はどちらかというと困った時に使う言葉です。
ハーヴェイはしまったと思ったのか
慌てて付け足します。
「Isn’t that wonderful!
(そりゃあ、とっても素晴らしいことだ!)」
喜んだのもつかの間、
翌朝、ハーヴェイは自殺してしまいます。
遺書にはこのように書かれていました。
「もう疲れた。これ以上耐えられない。」
テリーの語った真相
やがて回復したテリーが真相を語ります。
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「私は兄ブライアンの悲鳴で目覚めると
隣の部屋で母と兄が倒れていました。びっくりしてデッキに駆け上がろうとすると
ハーヴェイに突き落とされたの。しばらくして私はヨットが沈んでいることに気づいたわ。
ハーヴェイは自分だけ救命ボートに乗って逃げ出そうとしていたので
私はバレないようにイカダまで走り、
辛うじて生き延びれたんだ。」
全てがハーヴェイの仕業だとして
なぜこのような事をしたのでしょうか。
警察は妻のメアリーに多額の生命保険が
かけられていた事を突き止めます。
妻にかけられた保険金を目当てに
無関係な一家を巻き込んだのでしょうか。
その後の調査で分かった事ですが
ハーヴェイは再婚であり、
前妻も亡くなっているのですが
生命保険がかけられていました。
保険金を狙ったものなのかどうか
当人はもうこの世にいませんので真相はわかりません。
なお、この話を元にした本が
2010年に発売されました。
![](https://kwsklife.com/wp-content/uploads/2018/08/vcsddbt.png)
テリーは自身の回復の過程を描いた本も出版しています。
そして、悲劇によってダメージを受けた人を救おうと活動しています。
インタビューでは
「50年経ってようやく他の人を助けたいと思うほどに回復できました。」
と語っています。
ネットで反応
・お金は人生を狂わすということが良く解りました。
あと、辛い経験が人間を強くするということも…・そんな、バハマ。
すいませんつい……・大海原に一人で女の子が、考えただけで怖い台風が来ないで
良かったし大きな船に無事に見つけてもらって良かったです