世紀の大誤報「光文事件」は誤報ではなかった?
こんな裏側があったなんて・・・
5月から新年号「令和」が始まりましたが
一番最初の年号は意外と知られていません。
実は645年に起きた大化の改新から「大化」と命名されました。
それから私たちがよく知っている明治・大正・昭和・平成となるのですが、
大正15年の新元号決定の時に「ある事件」が起きていました。
光文事件とは
光文事件とは、毎日新聞の前身である東京日日新聞が
発表前に新元号が「光文」だと大々的にスクープしたのですが、
実際に発表されたのは「昭和」で大誤報に。
結果的には東京日日新聞の編集局主幹だった城戸元亮氏が辞任して事態が収束されました。
世紀の大誤報「光文事件」は誤報ではなかった?
しかし実際にはこの東京日日新聞の報道は誤報ではなかったという噂も。
日本の作家で元政治家の猪瀬直樹氏の著書『天皇の影法師』で触れられていましたが、当時の宮内庁が情報漏洩に激怒して内定していた
「光文」から「昭和」に変えたというのです。
元宮内省臨時帝室編修局編修官補の中島利一郎氏は、昭和31年9月17日にNHK総合テレビのクイズ番組『私の秘密』に出演した際、
「大正天皇崩御の際、次代の年号は私の選んだ『光文』と決まりましたが、事前に新聞に発表されたため、『昭和』になりました」
宮内省勧進の第一から第三までの案の中で
全てに共通している元号案は「昭和」「神化」「元化」の3つで
「光文」は内閣勘進案にしか見られませんでした。
毎日新聞は当時の悔しさを忘れておらず、63年後に昭和から平成に元号が変わる時、
ある記者が新元号が発表される30分前に「平成」という情報を入手し、
唯一毎日新聞だけが地方の夕刊に掲載できたのです。
もしこれも誤報だったら、信頼は地に落ちていたでしょう。
5月から始まった新元号「令和」は日本の古典から選定されていて
最初の「大化」から248番目の元号になります。
そして元号に「令」の漢字が使われるのは初めてのことで、
「レイ」の音が先頭にくる元号は奈良時代の「霊亀(れいき)」以来
2例目で1300年ぶりとなっています。
平成から変わる新元号についてはいろんな候補があがっていましたが、2041年から来たという未来人は
「栄安(えいあん)」
と予言していました。
全然違いますが、もしかしたらこれも光文事件と同じなのかもしれません。
ネットでの反応
・光文事件の真相はどうだったんだろうね
・こんな裏側があったなんて知らなかった
・未来人なんて存在しない
・まさか自分が生きてる間に3つの元号を生きるとは思わなかった