昭和の日本を震撼させたIQ210の神童「キム・ウンヨン」
40年後の彼の姿に言葉を失う…
1967年11月2日、
日本の番組に韓国の天才少年「キム・ウンヨン(金雄鎔)」君が出演しました。
当時4歳だった彼は
東大生が2人がかりで解いた問題を簡単に解いてみせたのです。
キム君は1歳頃には難しい漢字を読み、
5歳になるとすでに4ヶ国語を話せるまでになっていたそうです。
IQ210と推定された彼の頭脳はギネスブックにも掲載されます。
昔、東京おとなクラブで特集してたけど、韓国の天才少年、キムウンヨンくんっていたよな。ユリゲラーで思い出した。
そういうゆるい時代。おとなクラブではキムくんの行方は知れずと結ばれていたが今、大学教授らしいです。まぁ、普通の市井の人に。 pic.twitter.com/wgqwI4UHPw
— 狐蓋。 (@kitunebuta) December 17, 2016
引用:https://twitter.com/kitunebuta/status/809928566372782081
テレビ出演以来
「将来はノーベル賞獲得かもしくは大統領…」など、
キム君はメディアにもてはやされました。
凄まじい天才ぶりを発揮していたキム君ですが、
彼が致命的な悩みを抱えていたことをご存知でしょうか?
今回はそんなIQ210のキム君の40年後について紹介します。
昭和の日本を震撼させたIQ210の神童「キム・ウンヨン」
人々の期待に応えるかのようにキム君は
5歳の頃から漢陽大学で物理学の授業を聞き、
8歳で米国コロラド州立大で勉強を開始。
12歳ではNASAで研究員として働くまでになりました。
遺憾無く天才ぶりを発揮していたキム君ですが、
ここに来て暗雲が立ち込め始めます。
キム君には致命的に苦手なことがあったのです。
それは人とコミュニケーションを取ること。
誰かと深い関係を結ぶことが、キムには出来なかったのです。
いかに天才的な頭脳を持っていようとも
孤独ばかりは解決することはできません…
いつでもひとりぼっちだったキム君は
いつしかうつ病に苦しむようになっていきます。
そんな苦しみの中、
誰もが羨むような「天才」としての人生を生きていたキム君は
いつしか自分の人生の本当の望みを知るのです。
それは親しい人と過ごし、働きながら幸せな家庭を築くという
「普通の人生を生きる」ことです。
彼は当時19歳でしたが全てを捨てて母国に帰り、
地元の大学に進学します。
![](https://kwsklife.com/wp-content/uploads/2019/03/sindou1.jpg)
キム君は今まで浮世離れした生活を送ってきたので
大学の授業料の支払い方法など、
他人にとっては当たり前のことが何も分かりませんでした。
そんな彼に対し、世間は
「失敗した天才」
「神童が完璧にバカになって帰って来た」
などと冷たい言葉を投げつけます。
キム君は地元の大学を卒業後、
修士・博士学位を取って研究者になりました。
キム君の40年後の姿
神童ともてはやされてから40年後、
現在のキムさんは普通のサラリーマンとして働いています。
神童としての面影はありませんが、
彼には大切な家族がいます。
キムさんは神童扱いされていた話は隠し、
大学時代に出会った女性と交際していました。
しかし、後に全てを打ち明けます。
キムさんは自分の気持ちを受け止めてくれた彼女と結婚し、
現在は2人の子供がいるそうです。
![](https://kwsklife.com/wp-content/uploads/2019/03/cs-4.jpg)
彼はいつも子供たちにこう話します。
「体をたくさん使って健康になりなさい。
そして、たくさんの友達を作りなさい」
キムさんは平凡な生き方をしており、
世間も彼への興味を失っています。
しかし彼は天才としてもてはやされていた時には
見られなかったものを発見できて、とても満足していると言います。
天才的な頭脳よりもささやかな幸せの方が
満ち足りた日々を送れるのかもしれませんね。