殺人を犯してしまった危険な子供達…
子供とは思えない程、恐ろしい…
子供がするいけない事。
それはたいていイタズラ程度の事ですが、
ごく稀に非常に凶悪な事件を起こす事もあります。
今回は世界で最も危険な子供を紹介します。
掲示板で誹謗中傷されクラスメイトを殺害
2004年6月1日、11歳の少女Tが
12歳のクラスメイトをお昼休み中に呼び出し、殺害した。
少女Tは誰もいない空き教室で
クラスメイトの喉と腕をカッターで切り裂き、
殺害に至ったという。
殺害後、彼女は空き教室から離れ、
血のりがついたままで他のクラスメイトがいる自分の教室まで戻った。
教師は彼女を見てすぐさま警察を呼び、
空き教室の遺体を発見することとなった。
警察が彼女を補導し事情を聞いた所、
彼女がクラスメイトを呼び出し、
カッターで切りつけたことを認めた。
また、インターネット掲示板に書かかれたコメントが原因で
殺害に至ったことを告白した。
掲示板の書き込みには彼女の体重が重いこと、
いい子ぶっていることなどの中傷コメントが
クラスメイトによって書き込まれていた。
2004年9月15日、家庭裁判所は彼女を
施設(国立きぬ川学院)に4年の間、収容することを決定した。
2008年春、同学院の中学を卒業した。
(この事件は佐世保女子小六女児同級生殺害事件として知られている)
妊娠中だった再婚相手を嫉妬から殺害
2009年2月20日、ペンシルベニア州にて、
11歳のヨルダン・ブラウンは
父親の婚約者である26歳のマリー・ホークを殺害した。
彼はマリーが妊娠8ヶ月半目にあたる日、彼女が寝ている間、
背後から20ゲージユースモデルショットガンで襲った。
これにより彼女とお腹の中の胎児の2人の命が奪われた。
その時、仕事で父親は不在、
家にはマリーの娘である4歳と7歳の娘だけだった。
娘たちは母親が撃たれていることに気づくと、
家の外に出て近くにいた造園士に助けを求め、警察を呼んだ。
彼の殺害動機は再婚相手のお腹の中の赤ちゃんばかりが
ちやほやされて気に入らなかったためだと言う。
裁判所は彼の年齢をかんがみて
青少年拘置施設に3年間以上の収容を義務付けた。
彼氏と付き合うことを許してもらえず家族を殺害
2006年4月22日、カナダ、アルバータ州で
12歳の少女、ジャスミン・リチャードと
その彼氏は彼女の両親と弟を殺害した。
ジャスミンの両親は
23歳のジェレミー・スティンクとの交際を認めなかった。
それを許せなかったスティンクは
ジャスミンの家に押し入って彼女の母親と父親を殺害した後、
ジャスミンに弟をナイフで刺すように命じた。
ジャスミンは弟を一刺しした後、
スティンクが弟の喉を切りつけ、とどめを刺した。
2007年7月9日、ジャスミンは3人の命を奪ったことを理由に
第1級殺人の罪名が言い渡され、
懲役10年の判決を受けるとともに4年間の精神科医による
カウセリングと条件付きの監視下に置かれることになった。
また、スティンクにも懲役25年が言い渡された。
警察官の父親と母親、親戚を殺害後に自殺
ブラジル、サンパウロにて13歳の少年が自殺直前に
警察官である父親と母親、祖母、叔母を殺害した。
警察は13歳のマルセロ・ペセジーニが
40口径リボルバーピストルを用いて、
被害者らの頭を撃ったと報告している。
警察が発見した時には40歳の巡査部長である父親ルイツ・マルセロ、
36歳の妻アンドリア・レギナ、65歳の祖母ベネット、55歳の叔母ベルナディーテがベッドの上で殺されていた。
同じ部屋でこめかみに銃痕が残された状態の少年が発見された。
彼の左手には父親が所有していた銃が握られていた。
登校用のかばんの中にも32口径リボルバー銃が入っていたという。
マルセロの親友によれば彼は殺害を行う前に
「俺は家族全員を殺して、暗殺者になりたい」
と語っていたようだった。
その時に彼はかの悪名高い「悪魔の棲む家」の映画に
ひどくインスピレーションを感じたとも話していたという。
(悪魔の棲む家では4人の両親兄弟を
ライフルで次々と射殺するシーンがある。)
これらの証言にもかかわらず、親戚のの何人かは
この少年が次の理由からこの殺人に関わったことを疑問視している。
・少年が重い銃を持って撃てるほどの力が無
・学校では一切喧嘩したこともなく、静かな子だった
・マルセロが右利きだったこと
(遺体の状態、弾痕、銃の位置から左手でなければ、犯行はできない)
虐待を受けていた13歳の少年が2歳の弟を殺害
悲しいことに育児放棄と暴力が
クリスチャン・フェルナンデスの性格の形成に大きな悪影響を与えた。
彼が2歳の頃、彼は薄汚れた裸の状態で
南フロリダのストリート(祖母の家の近く)をさまよい歩いていた。
一方で、彼を世話をするべきだった祖母は
簡素なホテルでコカインをやっていた。
14歳の実の母も行方不明の状態であり、
実の父親に会えば性的虐待された。
クリスチャンの生活は悪くなる一方だった。
彼はいとこにも性的な虐待を受けるようになり、
継父(後に自殺)からは殴られ、虐待され続けた。
その10年後である2011年、12歳になったクリスチャンは
2歳半の弟を殴打し、殺害した罪で第1級殺人の罪に問われた。
彼はまた5歳半の弟にも性的虐待を行っていた。
2013年、少年院に19歳まで収容されることが決定された。
11歳のイギリスの少女が2人の幼児を絞殺
1968年5月、イギリスでスコットウッドマリー・ベルは
4歳のマーティン・ブラウンを誰もいない廃屋で絞め殺した。
事件があった2ヶ月後の同年7月、マリーベルは
またもや、3歳のブライアン・ホーを
友達のノーマ・ジョイスベルいる目の前で絞殺してみせた。
公開判決ではブライアンの死が他殺である証拠はなく、事故であるとされた。
それはマリーベルの握力が首に跡が残るほどの強い力ではなかったからだ。
最終的には彼女の奇妙な言動により、
2人の死は結び付けられ、1968年8月には、
第2級殺人の罪を問われることとなった
精神科医による鑑定によれば、マリーは精神障害があり、
治療が必要であるとの結果であった。
一方で、検察官らはマリーの行動は
狡猾で計画的であるとしてそれに対して反論した。
実際にマリーベルの精神異常について様々な話が残されている。
①
マーティンが謎の死を遂げた翌日の5月26日、
マリーベルの11歳の誕生日だった。
マリーはノーマの妹を「お誕生日カードをくれなかった。」
ということで首を絞めようとした。
悲鳴を聞いて駆けつけたノーマの父が妹から手を離させた。
以来、ノーマとマリーは遊ぶことが無くなった。
②
後にマリーベルが書いたとされる犯行予告のような紙片が発見される。
わたしがころした。だからまた、やる。
くそやろう、わたしたちがころした。きをつけろ
わたしたちがマーティンブラウンをころした。くそ。こしぬけ
判決は同年12月に言い渡され、ノーマは無罪、
マリー・ベルは2件の殺人で有罪判決が下された。
ニューヨーク州の法律を変えた少年犯罪
1962年12月9日生まれのウィリー・ボスケットは
殺人の罪を犯し、有罪判決を受けた。
彼が犯した凶悪な行為はニューヨーク州の条例を改正させ、
13歳以上であれば殺人などの重い罪の場合、
大人と同等の刑罰を受けることとなった。
1978年5月19日、15歳のウィリー・ボスケットは
ノウェル・ペレスをニューヨークの地下道で
銃殺し、お金と時計を盗んだ。
その8日後、ボスケットはもう一人を撃ち、金品の強盗を行った。
これらの2件の強盗および殺人罪により
ボスケットはニューヨークの家庭裁判所で裁かれ、
有罪判決を受けることになったが、その刑期はたった5年であった。
少年犯罪の中ではもっとも長い刑期ではあったが、
この判決は多くの一般市民の抗議を引き起こした。
その抗議を受け、ニューヨーク州議会は
少年犯罪についての条例を1978年に改正し、
13歳以上で成人と同様の刑罰を受けることが決まった。
ボスケットはこれにより終身刑の判決を受け、
現在も独居房に収容されている。
ネットでの反応
・幼児が乳児を殺害したのは流石に怖い
・大体はちゃんと教育してない親のせい
・少年法とか要らなくない?