世界最強の戦闘民族と呼び声の高いグルカ兵…
戦闘能力が凄まじかった…
グルカ兵とは一般的にネパールのグルカ族出身者で構成される
山岳戦・白兵戦に非常にたけた戦闘集団。
しかし、実際にはグルカ族なる民族は存在せず、
マガール族、グルン族、ライ族、リンブー族などの
複数のネパール山岳民族から構成されています。
その戦闘能力の高さから世界最強の戦闘民族として認知されています。
今回はそんな世界最強と呼び声の高い戦闘民族グルカ兵について紹介します。
グルカ兵とは
由来や歴史について謎の多い湾刀と呼ばれる刀の一種、ククリナイフ。
グルカ兵はこれを武器として使っています。
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インドの西ベンガル州にあるグルカ族が住むグルカランド。
元々シッキム王国の一部でしたが、
18世紀初頭、カリンボンはブータンに占領され、
1780年にダージリンの周辺はネパールから来たグルカ族の土地となりました。
インドの独立後、グルカ族はネパール語の公用語化を求めるなどして、西ベンガル州政府と対立し、
1980年代には西ベンガル州からのグルカランド自治州としての分離を要求しました。
1986年にグルカ国民解放戦線(GNLF)による暴動が起きたが、
暴動の後1988年に大幅な自治が認められて
ダージリン・グルカ・ヒル議会が確立されました。
現在は落ち着いていますが、
グルカランドの自治権の拡大を求めるグルカの武装勢力も存在します。
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グルカランドの旗を見てみると
グルカの象徴であるククリナイフが描かれています。
世界最強の戦闘民族と呼び声の高いグルカ兵
1944年3月。第二次世界大戦当時のインドはイギリスの植民地でした。
そのインド開放を名目に大日本帝国陸軍はインドへと侵攻。
後に「無理、無茶、無謀」の代名詞となる史上最悪の作戦、
インパール作戦が開始されました。
元より勝算ゼロ、制空権も制海権も無く補給線も確保できない作戦の為に
日本軍10万とインド国民軍4万5千が投入されます。
それでも帝国軍と国民軍は果て無きジャングルを切り開き、
山を越え川を渡りインパールへと肉薄しました。
ここでのグルカ兵の戦果が後に彼らの名を世界に知らしめる事になりました。
日本軍を恐怖のドン底に叩き落とした兵士…
それがグルカ兵です。
殊作戦部隊として投入されたグルカ兵はゲリラ作戦を展開して、
主力であるイギリス軍及びインド軍をサポートする役目を担いました。
最前線のジャングルに展開したグルカ兵は破壊工作を実行。
奇襲や陽動を繰り返し、確実に日本軍を追い詰めていきました。
主力であるイギリス軍が苦戦する中、
唯一戦果を挙げ続けるグルカ兵の名前は日本軍に恐れられました。
実際、グルカ兵の担当区であったビルマ西部における
日本軍の戦死者の大部分はグルカ兵と戦って戦死したものです。
後のイギリス特殊部隊SASの前身となるコマンド部隊なども展開しており、
グルカ兵はSAS等の特殊部隊設立に大きな影響を与えたと言われ、
SASと共に世界最強と認知されてます。
受け継がれる最強民族の血
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ライフル弾やロケットが飛び交う中、
たった1人で「ぶっ殺す!」と叫びながら
機関銃の三脚を投げつけて暴れまわった
などにわかには信じられない鬼神っぷりだったそうです。
結局この戦闘で機関銃の弾250発、小銃弾180発を射撃、
各種手榴弾12個とランチャーからの榴弾5発、
クレイモア地雷1個を起爆させ、
増援が来るまで検問所を守りきったのです。
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増援部隊の指揮官が到着を知らせるために彼の背中を叩いたところ、
パン軍曹は「また敵が来た」と思ったそうです。
間違って撃ってしまう危険はなかったのか、
という問いには「もう弾がなかったから」と答えています。
「タリバン兵がやって来たと知ったときはすごく怖かった。
でも撃ち始めてからは恐怖は感じなかった。
殺される前に殺そうと思った」
とパン軍曹。
この功績により、戦場での特に優れた武勇に対して与えられる
Conspicuous Gallantry Crossを受章しました。
まだある驚きのエピソード
2010年9月。ビシュヌ・シュレスタ元グルカ旅団伍長は
故郷・ネパールに向かう列車で40人の武装強盗に襲われました。
命あっての物種と他の乗客から略奪を行なう彼らを
じっと見ながら彼は沈黙を保ちます。
しかし、盗賊達が18歳の少女を捕まえ
強姦しようとしたその瞬間、ついに彼はキレました。
彼は帯刀していた巨大なククリナイフを一気に抜き放ち、
盗賊を後ろから羽交い締めにすると
そのまま盗賊を盾にしながら暴れまわります
そして、ひるむその他の盗賊の前で彼は盾にしていた男の喉を切り裂き、
さらなる獲物を求めて哀れな盗賊に飛びかかっていきました。
結局、3人の死者と8人の重傷者を出した盗賊は撤退していったのです。
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黙って見ていることしかできなかった少女の両親は
彼に謝礼を申し出たものの
「敵と戦うは兵士のつとめ。
賊を倒すは自分の人間としてのつとめ」
と受け取ろうとしなかったそうです。
紛れもなく世界に誇れる先頭集団であることは間違いありません。
一方、45歳になると退役した元グルカ兵達は
ネパールに帰国することになりますが、
軍の年金だけでは足りず、何もしないと多くが経済的に困窮することになるという問題を抱えていました。
そのため、年金制度やイギリス国内に留まる権利などについて
イギリス政府とグルカ兵擁護団体との間で議論が幾度も交わされた結果、
2009年にイギリス内務省は
1948年から1997年の期間に従軍したグルカ兵に対して、
イギリス国内への定住を認めています。
また、中には民間の軍事会社と契約して再び傭兵となったり、
異なるビジネスを始める者もいます。
今後もグルカ兵は世界舞台の裏を支える重要な集団であり続けると思いますが、
多くの元グルカ兵が現役を引退した後も活躍出来る道が整ってほしいものですね。