オウム真理教の教祖である麻原彰晃が
アジトで発見された様子がヤバイと話題になっています。
今回は麻原彰晃についてまとめました。
1995年、オウム真理教の教祖である
麻原彰晃(本名:松本智津夫)が逮捕されました。
地下鉄サリン事件により亡くなった方の数は13名にのぼる。
重軽症者は合わせて6300人。
あれから20年以上経った今も後遺症に苦しんでいる人がいます。
これだけの凶悪犯罪の容疑者を
警察が「隠し部屋に隠れてて見つけ切れなかった」と
諦めるとでも思ったのであろうか。
麻原彰晃の犯罪一覧
・男性信者殺害事件(殺人罪)
・坂本堤弁護士一家殺害事件(殺人罪)
・サリンプラント建設事件(殺人予備罪)
・薬剤師リンチ殺人事件(殺人罪・死体損壊罪)
・滝本太郎弁護士サリン襲撃事件(殺人未遂罪)
・自動小銃密造事件(武器等製造法違反)
・松本サリン事件(殺人罪・殺人未遂罪)
・男性現役信者リンチ殺人事件(殺人罪・死体損壊罪)
・駐車場経営者VX襲撃事件(殺人未遂罪)
・会社員VX殺害事件(殺人罪)
・被害者の会会長VX襲撃事件(殺人未遂罪)
・公証人役場事務長逮捕監禁致死事件(逮捕監禁致死罪)
・地下鉄サリン事件(殺人罪・殺人未遂罪)
・チオペンタール密造事件(薬事法違反)
・LSD密造事件(麻薬及び向精神薬取締法違反)
・覚醒剤密造事件(覚せい剤取締法違反)
・メスカリン密造事件(麻薬及び向精神薬取締法違反)
当時の麻原彰晃の様子
週刊文春1996年4月25日号に
拘置所での麻原の姿が掲載された。
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車椅子に乗せられ移動している麻原の姿が撮っている。
タイトルは
「拘置所の麻原被告はまるでエレファントマンだった」。
父が東京拘置所に移管された直後の1996年4月初めから
父は東京拘置所が提供する食事を一切とらなくなりました。
代わりに薬を混ぜ込めないような食べ物の差し入れ依頼が
家族に来るようになりました。
わめく、取り乱す、駄々をこねる。
オウム真理教の「教祖」の様子がおかしい。
公判を長引かせるための戦略というのは、あまりに支離滅裂なのだ。
「女子コンクリート詰め殺人事件」など、いくつもの大きな裁判で、被告人の精神鑑定を担当してきた福島章・上智大学教授(精神医学)の見方は「典型的な拘禁反応だと思います。」
不規則発言を繰り返し、
これまでに2回の公判で退廷を命じられた
オウム真理教前代表・麻原彰晃(松本智津夫)被告が
弁護人との面会を一切断っていました。
麻原彰晃のおかしな行動
麻原の身の回りの世話をしていた
掃夫(拘置所で服役している雑役囚)が語るところによると、
麻原は注射をされていたという。
麻原はほとんど毎日、大小便を垂れ流していました。
しばしば午前と午後で松本のズボンが替わっており、
失禁しているようだったと当時の司法記者は語っています。
また、おむつをつけていても、
取り替えるのは1日のうち、入浴前の1回のみ。
入浴がないときには、運動の日に外に連れ出すときに替えるか、
入浴もなく運動もないときには朝1回替えます。
要するに毎日1回しか替えません。
当然布団は大小便で汚れることになります。
アジトで発見された時の様子
毒ガスによる大量殺人を狙った
凶悪テロの容疑者の麻原彰晃は逮捕された時
アジトである山梨県上九一色村の教団施設に
隠し部屋を設けてそこに隠れていた。
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見つからないようにと配慮されて隠された結果、
一人でそこから降りる事も出来なかったと言う。
のちに死刑判決を受ける麻原が神ではなく、
人であり犯罪者である事が証明された瞬間だった。
ネットでの反応
・この状況でカメラマン役する警察も問題あるやろ
・ビンラディンみたいに見つかった瞬間殺されれば良かったのに
・壁と壁の間にずっとおったんやろ
そらこうなりますわ