日本の消された空白の150年…
卑弥呼と邪馬台国の隠された四世紀の古代ミステリー…




きっとあなたが思うよりも日本という国はとても異質な国です。

日の丸の国旗、日章旗でさえ、
701年の文武天皇の朝賀の儀において使われた以前に
既に使用されていたのではないかとも言われ、
その起源すらイマイチよくわかっていません。

歴史が古く、何と言っても神話と史実が合わさった記録頼りに
歴史を紐解くしかない日本の古代史に
研究者はこれからも頭を悩ませ続けるでしょう。

数ある日本史の謎の一つに空白の四世紀、
消えた150年というものが存在します。

西暦249年〜592年の間の物語を
今も私たちは解くことができずにいます。

教科書に載っていた邪馬台国。
そして、邪馬台国を統べる女王、卑弥呼。

それ以前は特に人命の出てこない日本史に
颯爽と登場する彼女に対し、
強烈な印象を受けた方もいるかもしれません。

今回はそんな卑弥呼と邪馬台国の歴史を紹介します。

歴史に現れた女王

この卑弥呼ですが、何をした人?と言われると
意外とわからない人が多いかもしれません。

彼の時代、弥生時代後期の当時の日本は
倭国と呼ばれていました。

といっても1つの大きな国というわけではなく
30ほどの小さな国の集まりです。

その中での中心的な国が邪馬台国。

また、日本列島全体が倭国だったのではなく、諸説があり、
九州と周辺の島々の範囲だったと考える識者もいます。

この倭国は元々、男の王が70〜80年ほど治めていましたが
倭国大乱と呼ばれる内乱状態に陥っていました。

そこで卑弥呼を女王として立て、その混乱を収めたとされています。

女王となった卑弥呼は儀式を行う役割を担って人前に姿を見せず、
政治的なことは全て弟が行なっていました。

また、卑弥呼は生涯独身で彼女の元には
食事を運ぶ一人の男だけが出入りしていたようです。

そして、卑弥呼は鬼道と呼ばれるものを使っていたとされています。

具体的にこの鬼道というものが
正確にはどのようなものであったかはわかっていませんが
呪術(もしくは神道のようなもの)であるとか
要するに卑弥呼にはそのような神秘的な力があったという事でしょうか。

その後、卑弥呼は中国の魏に遣いを送ります。

中国の皇帝からも親魏倭王という称号と金印を与えられました。

この金印は発見されていませんが
もし見つかれば邪馬台国がどこにあったかの論争に
決着がつく事でしょう。

そして卑弥呼が亡くなった後、
再び男の王が立てられたのですが
再び内乱が起こります。

そこで卑弥呼の親族という13歳の台与が女王になり、
争いは収まったとされています。

その後の150年ほどは
中国の歴史書から日本に関する記述が無くなるため、
謎の四世紀と呼ばれる時代に入っていきます。

その間、邪馬台国は滅びたのか
邪馬台国から大和王権になって行なってたのか、
様々な説が唱えられています。

この失われた150年に何があったのでしょうか?

ここまでの卑弥呼の話は全て中国の歴史書に書かれているものです。
では日本の歴史書では?というと
これがかなり奇妙なことになっています。

歴史から抹消された女王

卑弥呼や邪馬台国は非常に謎が多く、
まだはっきりとしたことはわかっていないと言えます。

卑弥呼について記された書物は
三国志の魏志倭人伝などの歴史書ばかりです。
なぜか日本の歴史書にはほぼ出てきません。

卑弥呼が亡くなったのは247年頃とされていて
三国志が書かれたのがその30〜50年後の三世紀末のこと。

それに対して、日本最古の歴史書である古事記が完成したのは712年、
続いて日本書紀が完成したのは720年なので
400年以上も後のことになります。

その古事記や日本書紀には卑弥呼や邪馬台国がどう書かれているか?
奇妙なことに全く名前が出てきません。

ただ、完全にスルーというわけではなく
日本書紀の神功皇后に関する記述の注釈で

「魏志によれば女王が魏に遣いを送ったという」

との記述があります。

つまり日本書紀では
卑弥呼=神功皇后と思わせる書き方をしているのです。

しかし、はっきり卑弥呼や邪馬台国と言った言葉は使いませんし、
あくまで魏志倭人伝の引用といった形をとっています。

日本書紀の編者が魏志倭人伝などの中国の史書から
卑弥呼の存在を知っていたのは間違いないのに
不自然に触れないようにしているとも見えます。

すでに500年も前のことなので
実際によくわからなかったのかもしれません。
あるいは何か触れたく無い事情があったとも考えられます。

理由としては
大和王権の前に女王がいたことを隠したかったか
中国に遣いを送り、忠誠を誓った邪馬台国をよく思っていなかった
ということが挙げられます。

しかし、中国の歴史書に載るほど有名な卑弥呼が
何故か日本では全く伝承がないというのはあまりにも不自然です。

そこで卑弥呼は日本では別の呼ばれ方をしていた人物では?
という考えも自然と出てきます。

女王の正体

卑弥呼とは一体誰なのでしょうか?

今までに様々な説が唱えられています。

1.神功皇后

日本書紀では神功皇后を卑弥呼と匂わせています。
あるいは神功皇后は台与であるとの説もあります。

そもそも神功皇后自体が
卑弥呼を大和王権の人物とするために作られた
架空の存在ではないかとの見方もあります。

しかし、卑弥呼は生涯独身だったとされているのに対して
神功皇后は仲哀天皇の皇后であり、独身ではないなど、
人物像がかなり異なっています。

2.倭迹迹日百襲姫命

とても長い名前ですが、第7代孝霊天皇の皇女で
神秘的な力を持つ巫女として予言を行なっていたと言います。

その墓とされる箸墓古墳は
卑弥呼の墓という説もあります。

箸墓古墳のある纏向遺跡は邪馬台国の中心だったのでは?
と思われ、現在有力な場所の一つです。

ただ、百襲姫は女王ではないこと、
大物主という夫がいたことなどが卑弥呼とは違ってきます。

3.天照大御神

天照大神は日本神話の太陽の女神ですが、
卑弥呼も日の巫女と解釈できます。

また、卑弥呼の亡くなったとされる時期に皆既日食が起きていて
それが岩戸隠れの伝説になったのではないかとも言われています。

日本の書記の記述をそのまま読み取れば年代が合わないのですが
初期天皇の異常に長い寿命を現実的に直せば
一致するとの見方もあります。

ここまでの説はあくまでも卑弥呼が古事記や日本書紀に書かれた
大和王権の誰かであるという前提に立ったものです。

しかし、それらには書かれていない
全くの別の人物という可能性も考えられます。

卑弥呼や邪馬台国に関しては多くの人が沢山の説を出していますが
いずれも憶測の域を出ないとも言えます。

結局、資料が限られているので
発掘で決定的な証拠でも見つからない限り、
結論が出ることはないかもしれません。

皇極天皇4年の6月、
日本の膨大な史書は歴史を作る為、焼き払われました。

でももしかしたらその中には邪馬台国の秘密が眠っていたのかも・・・
そんなことを考えながら歴史を眺めていくと
また違った古代日本の姿が見えてくるかもしれませんね。

ネットでの反応

・一度、国を挙げて日本の歴史を調べるプロジェクトってやらないかな。
少なくともオリンピックよりも盛り上がるだろうし
しかも3000年は遡れるのは分かってるから、
10年20年単位で国民が日本を誇れる発見のニュースが流れて
面白いと思うし日本人が日本を愛し誇れる1要素になると思うのだが・・・

・300ー400年ごろの日本ってロマンあるよな
ここら辺の奴らが神話を作ったんじゃないかと思ってる

・日本の歴史は確実に何者かによって隠されております。
こんな太古の話ではなくてもそうなのですから。
第二次世界大戦あたりとかね。

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