100年前の日本人は世界最強の体力を誇る民族だった!
昔の日本人は尋常じゃなかった…


100年前の日本人は世界最強の体力を誇る民族だった

明治期までの日本人が今と比べればとてつもない体力を持っていたということは、
当時日本を訪れた外国人の残した多くの文献に記されている。

その一つにドイツ帝国の医師・ベルツの手による「ベルツの日記」です。

ベルツの日記

ベルツ(本名:エルヴィン・フォン・ベルツ)はライプツィヒ大学で内科を修めた後、
27の歳に明治政府によって招聘され、以後29年間日本に滞在する。

幕末から明治にかけて日本が「殖産興業」を目的に
先進技術や学問・制度を輸入するために雇用した、
いわゆる「お雇い外国人」の一人だった。

東京医学校(後の東京大学医学部)において医学や栄養学を教授し、
滞在中日本人女性(花子)を妻に娶っている。

そのベルツがある日東京から110km離れた日光に旅行をした。
当時のこととて道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたという。

しかし二度目に行った際は人力車を使ったのだが、
なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまった。
しかもその間は一人の車夫が交替なしに車を引き続けたのだった。

普通に考えれば人間より馬の方が体力があるし格段に速いはずなのだが、
これではまるで逆である。
この体力はいったいどこから来るのだろう。

ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、
「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という答えだった。

聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食。
もちろん肉など食べない。彼からみれば相当の粗食だった。

そこでベルツはこの車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すれば
きっとより一層の力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと、
次のような実験を試みた。

22歳と25歳の車夫を2人雇い
1人に従来どおりのおにぎりの食事、他の1人に肉の食事を摂らせて
毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせた。

然るところ肉料理を与えた車夫は疲労が次第に募って走れなくなり、
3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきた。

そこで仕方なく元の食事に戻したところまた走れるようになった。
一方、おにぎりの方はそのまま3週間も走り続けることができた。

当時の人力車夫は一日に50km走るのは普通だったという。
ベルツの思惑は見事に外れたのだった。

彼はドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、
日本人には日本食がよいという事を確信せざるをえなかった。

また彼は日本人女性についても

「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」

とも漏らしている。

それらの結果、帰国後はかえってドイツ国民に菜食を訴えたほどだったという。

フランシスコ・ザビエルの日本人観察

西欧人から見れば粗食と見える日本の伝統食が
実は身体壮健な日本人を育てる源泉だったという証左は枚挙にいとまがない。

スペイン人の宣教師であるザビエルの手紙に
日本人の歩き方の特徴として「腕を動かさない」と記されているというのです。

なぜ日本人は腕を振らずに歩いたのでしょう。

ウイスキーの好きな人はご存知と思いますが、
ジョニ赤・ジョニ黒と呼ばれるジョニーウォーカーのウイスキーには
以下のような図柄がトレードマークとして描かれています。

昔のデザインとはだいぶ変わってきましたが、
前方に出る足をピンと伸ばし、ステッキを振りながら胸を張り、
腕を振って歩いています。

学生時代にこの絵をみてイギリス人は
なんと無理な歩き方をするのだろうと思ったことでした。

しかし、革靴を履いて石畳の上を歩いた人達と
草履や下駄を履いてぬかるんだ地面を歩いた私達日本人の祖先では
歩き方が異なったのであろうということに最近気づきました。

手と足が交互に動く現在の歩き方ではなく、右足が出たときに右手が前にでる、
いわゆる「ナンバ歩き」も日本の路面では有効であったのだろうと想像しています。
阿波踊りの手足の運びも同様ですね。

日本その日その日

さらに、大森貝塚の発見者として有名なエドワード・S・モース
1877年(明治10年)から都合3度来日しており、
「日本その日その日」を記録として残しています。

「ホテルに所属する日本風の小舟が我々の乗船に横づけにされ、
これに乗客の数名が乗り移った。

この舟というのは細長い不細工な代物で褌だけを身につけた
三人の日本人ー小さな背の低い人たちだが、
おそろしく強く重いトランクその他の荷物を赤裸の背中にのせて、
やすやすと小舟におろしたーが、その側面から櫓をあやつるのであった。」

「七台の人力車を一列につらねて景気よく出立した。
車夫の半数は裸体で半数はペラペラした上衣を背中にひっかけただけである。
確かに寒い日であったが、彼等は湯気を出して走った。

ときどき雨がやむと幌をおろさせる。
車夫たちは長休みもしないで三十哩(今でいうおよそ120km)を殆ど継続的に走った。」

モースはこの他に利根川を船でおよそ100km下った時に
一人がずっと櫓を操っていたことなどを記している。

現在の常識からすると信じられない内容ですね…

しかし、人類の歴史と食生活を勘案すると
過去の一見貧しい食事が生命力を引き出しているとも考えられますね!

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