大名や将軍の誘いも断れる?
100年前の遊女・花魁の衝撃事実…
100年前に実際に存在した遊郭、遊女。
その中でも吉原遊廓の遊女で位の高い者を花魁と言います。
当時のハリウッド女優と呼べるほどに
高値の花だった花魁。
知れば知るほどに興味深く
知れば知るほどに女性達の凄まじい努力が感じられます。
今回はそんな花魁の一生を紹介します。
100年前の遊女花魁の衝撃事実
豪華な着物に派手なかんざしをつけた花魁姿は
時代劇の中ではよく見かけますが、今では変身写真でも人気です。
花魁と言うと「昔の遊女の位の高い人」というくらいしか
イメージが湧かないといった方は多いかもしれません。
「花魁(おいらん)」という言葉は
18世紀の半ば以降からしか使われていません。
それまでは「太夫」や「傾城」と呼ばれていました。
また、花魁には誰でもなれたわけではありません。
花魁は当時は庶民には手の届かない、
今で言うハリウッド女優並のカリスマ性を放っていたといいます。
子供の頃から郭内(かくない)で姐さん方に従事し、
きちんとした教育を受け、
花魁としての「美貌」「教養」「芸事」「書」等が
きちんと出来なければなれなかったのです。
呼び出し花魁はわずか4人
花魁と一言でいってもいくつかの種類にわかれます。
・「張り見世(はりみせ)」
・「呼び出し」
朱塗りの格子の中で、お客を持つ者が張り見世という格付け、
2階のお座敷でお客を待つのが呼び出し。
吉原遊女の数は常に3000人ほどいました。
その中でもトップに君臨するのが呼び出しです。
呼び出し花魁はわずか4人ほどでした。
花魁への出世の道
花魁への道は長く険しいもので10歳から修行が始まります。
■禿(かむろ):10~14歳
花魁の身の回りの雑用をする
花魁の食事の給仕やたばこの吸いつけ、
郭内の小間使いなどをしながら三味線や唄、書などを習います。
■新造(しんぞう):15~16歳
禿(かむろ)を経てその上の新造になります。
花魁候補になっていきます。
■花魁として働ける年齢:18~27歳位まで
そして、有名な花魁道中。
美しく着飾り、遊郭の中を歩く事・・・。
その姿はさながらハリウッドスターのようですね!
花魁が従者を供にし、
美しく着飾って遊郭のなかを歩くことを花魁道中といいました。
初期は小規模なものでした。
大名や将軍であろうと断れる花魁
「いやでありんす」という遊興の案内所で花魁を指名。
花魁は客とは離れたとことに座り、
お客と口をきかず酒も飲みません。
お客はひたすら花魁の機嫌を取り続けるだけ。
この際、お客は品定めをされています。
花魁が気に入られればその花魁とは付き合うことはできません。
客はたくさんの芸者を呼び
派手に遊ぶことで財力を示す必要があったのです。
芸者代、宴会代などの遊興費は多額であり、
10両~20両(100~200万円)が吹っ飛んだといいます。
裏(二回目)と馴染み(三回目)
花魁と床に入るためには最低でも「三回」、
約1000万近くの金額が必要だったと言われています。
■裏(裏を返す)(二回目)
初回と同様の費用が必要で一言二言声をかけてもらえるものの、
会話もおざなりでした。
基本的には初会と同じです。
■馴染み(三回目)
客は花魁から会い方と認められ、
客の名前を呼んだり、くだけた対応をしてくれます。
自分の名前の入った膳と箸が用意されます。
この時、ご祝儀として馴染み金を支払わなければなりません。
通常は三回目でようやく床入れ出来るようになったのです。
花魁と一晩遊ぶのに支払うお金
一流の呼び出し花魁と1回遊ぶのに必要なお金は30~50両でした。
現在に換算すると120万~200万円です。
また花魁には身請け料金と言うものがあります。
身請けとは花魁の身代金や借金を支払って勤めを終えさせる事を言います。
身請けは大変なイベントで身請けをした旦那はヒーローでした。
代金は500~1000両と高額であり、
現在だと2000~4000万円ほどです。
花魁のその後の人生
28歳になると借金も返済し終えて自由の身になれました。
28歳までに病気や中絶で命を落とす者もいましたが
遊郭の経営にスタッフとして携わる者。
または、お客と結婚して普通の暮らしに戻る花魁もいました。
花を咲かせる時期は短く儚く散っていくからこそ
人々を魅了してしまうのでしょうか。
当時の花魁はまさに高嶺の花と呼ぶのに相応しい存在でした。
仲良くなるためには1000万近いお金が必要。
お金があっても花魁に気に入られなければ意味が無い。
身請けするには2000~4000万必要など・・・
本当に選ばれた人しか花魁になれず、
その花魁と仲良くなるのも選ばれた人だけだったのですね。