西鉄バスジャック事件を起こした谷口誠一のその後…
すでに社会復帰し・・・


西鉄バスジャック事件とは

2000年5月3日に起きたこの事件は
当時17歳だった少年によって行われました。

九州自動車道を走っていたバスに乗っていた少年は
運転主に牛刀をつきつけて
「天神には行くな。このバスを乗っ取ります」と運転手に告げました。

長い長い15時間半のバスジャックが始まったのです。

少年は西鉄天神バスセンターに行かずに
九州自動車道をしばらく走行するように運転手を脅し、
乗客に対し様々な指示を繰り返した後、
最後にカーテンを閉めるように指示。

その後、山口県の山陽自動車道に達するまでに乗客3人を切りつけ、
2人が負傷し女性1人が死亡。

バスジャック発生から15時間半後、事件は収束を迎えることができました。
この15時間半は人質の人からすると悪夢の15時間半であったことでしょう。

日本のバスジャック事件において
人質が死亡した初めての事件となりました。

引用:https://twitter.com/mazikiti_hanzai/status/955216047543435265

この事件は少年がインターネット掲示板に犯行予告を書き込んだ
ハンドルネームがネオむぎ茶だったことから
別名、ネオむぎ茶事件とも呼ばれています。

犯人の生い立ち

犯人は17才の少年なので事件当時に名前は公表されていませんが、
ネットでは名前は谷口誠一といわれています。

谷口少年の父親は建設機械会社のサラリーマン、
母親は役所の保健士という普通の家庭でした。

母親は雑誌に教育観を投稿したり、子供に一日の中で
嬉しかったことを紙に書かせたりする教育熱心な母親でした。

また谷口少年は祖母から家を継ぐ人間としての自覚を叩き込まれ
自分は特別な存在という価値観を持つようになりました。

小学校時代

谷口少年は学校の成績はよく優等生でした。
しかし幼い頃から言動に落ち着きがなく注意散漫で
協調性に乏しく周囲に馴染めずにいました。

中学校時代

中学校にあがるとイジメの標的となり、
成績は2年生まで学年2位を誇ってました。

しかしイジメが激しさを増すと高校受験が近づくにつれ成績は落ちていき、
他者へ攻撃的態度をとるように変化。

自宅では母親を貴様と呼び、この家の跡取りは僕なんだと言って
両親に命令口調で暴言を吐いたり、
物を投げつけたり暴力をふるうようになりました。

高校に入学するも引きこもり

高校に入学後、新入生オリエンテーションで
緊張して声を詰まらせて言葉にならず、同級生たちから笑われます。
そんなことがあり9日登校する不登校になり、引きこもりになりました。

土日は「お出かけ」と称して父親に強要し、
京都・大阪・奈良・神戸・浜松・名古屋・京都へドライブ。
観光するわけでもなく10時間以上延々と走り回ることも。

その後、親からパソコンを買い与えられると
ネット掲示板『2ちゃんねる』の書き込みに夢中になり、
ハンドルネームはキャットキラー。

「馬鹿猫引っ込め」「豚野郎」など攻撃的態度で
他のユーザーとネット上でバトルをするも負けてしまい、
ハンドルネームを「ネオむぎ茶」に変更。

療養所に入院

2000年の3月2日、谷口少年の様子をおかしく思った両親。
父親が「お出かけ」に連れ出した隙に
母親がクローゼットから牛刀などの
刃物類とスタンガン・催涙スプレーを発見。

3月4日、母親が机の引き出しから遺書めいた犯行声明文を発見。

3月5日、精神医療センター『国立肥前療養所』と
警察に息子の保護を要請しますが、
精神鑑定医の診断や事件性の有無を理由に断られます。

そこで母親はテレビ出演していた有名な精神科医の町沢静夫さんに連絡し、
肥前療養所と警察に協力を取り付けてもらい、
即日入院の許可を得ることに成功。

両親が谷口少年に説得を試みるとキレて母親に暴力をふるいますが、
警察が到着するとおとなしくなり肥前療養所に入院。

その時谷口少年は

「貴様ら、前から僕を精神科に入院させることを考えていたのか。
この恨みは絶対に忘れないからな。覚えていろよ」

と両親に言い残しました。

2000年5月3日「西鉄バスジャック事件」

谷口少年は病院でおとなしくしていたため、
1泊2日の外泊許可が出て5月3日に帰宅。

そして、2ちゃんねるにハンドルネーム『ネオむぎ茶』で
「佐賀県佐賀市17歳 ネオむぎ茶 ヒヒヒヒヒ」と書き込むと
森林公園にサイクリングに行くと嘘をついて、
途中で牛刀を買ってリュックに忍ばせ、
佐賀駅バスセンターから12時56分発の「わかくす号」に乗車し、
「西鉄バスジャック事件」を起こしたのでした。

実はもともとは「バスジャック」でなく母校の中学校を襲う計画でした。
校舎の1階から各教室で生徒たちを襲い、3階の教室に立て篭もり、
マスコミの注目を浴びるなか飛び降り自殺するつもりでした。

しかし5月3日が中学校が休みだったので
急遽計画を変更して西鉄バスジャック事件を起こしたのです。

犯行の動機

犯行の動機は

・『2ちゃんねるで』で煽られたから
・精神医療センターに入院させた親への腹いせ

と言われています。

谷口少年本人は動機について

「目立ちたかった」
「事件を起こして親を苦しめたかった」

と自供しています。

教育熱心な母親からのプレッシャーや
祖母から『特別な人間』と思わされたことで
心の闇が広がっていったのでしょう。

谷口誠一のその後

犯人・谷口少年はその後、
刑事責任能力の有無を確かめることになりました。

佐賀家裁は事件当時の責任能力は認めたものの、
精神鑑定結果が解離性障害や行為障害の症状を指摘したのを受け、
解離した施設で日常的に精神科医の観察が必要と判断。

2000年9月、5年以上の医療少年院送致とする保護処分を下し、
10月2日に谷口少年を京都医療少年院に収容しました。

その後、2006年1月、22才で京都医療少年院を仮退院。

3月まで保護観察処分となり、
3月26日に保護期間が満了し、正式に退院しました。

2018年の今現在、犯人・谷口の年齢は34才前後かと思われます。

起こした罪は一生消えることはありません。
まずはその罪とどう向き合うのが重要になってくるでしょう。

ネットでの反応

・確か西鉄バスジャック事件を境に
バスの車両上にバスの車両No.とか電光掲示板に
SOS表示付いたんだっけ?

・西鉄バスジャック事件ってまだ20年たってないんだもんな。
すげえ昔みたいに錯覚するけど

あなたにオススメの記事

⇒ ペッパーランチ監禁強姦事件の真相…闇が深すぎて恐ろしい…