新潟少女監禁事件の犯人・佐藤宣行の現在…
事件から17年、犯人は出所し…


新潟少女監禁事件とは

1990年11月13日に新潟県三条市の路上で誘拐された当時9歳の少女が
2000年1月28日に同県柏崎市の加害者宅で発見されたことにより
発覚した誘拐監禁事件。

監禁期間が約9年2カ月という長期に渡っていたことや
事件に関わる新潟県警の捜査不備や不祥事が
次々と発覚したことなどから社会的注目を集めました。

少女の監禁生活

新潟県で当時小学4年生だった少女が
学校から下校途中に犯人である佐藤宣行被告に
ナイフで脅され誘拐されました。

佐藤宣行被告は少女に脅迫的な文言を繰り返し浴びせる、
ナイフを突きつける、顔面を数十回殴打するといった暴行の上で
最初の2~3カ月間は自身の外出や就寝の際には
少女の両手足を緊縛して身動きが取れないようにしていました。

その後両手の緊縛は解かれたものの
両脚の緊縛については1年ほど続き、
少女の脱出意志を喪失させました。

佐藤宣行被告の生活に関わる雑用をこなさなかったり、
プロレス技を掛けられ少女が苦痛に声をあげたときなどにも
スタンガンの刑と称して暴行が加えられました。

1999年頃から佐藤宣行被告は母親に対してもスタンガンを使用し始め、
同年12月に再び精神病院を訪れた母親は
佐藤宣行被告の家庭内暴力が激しさを増していることを訴えました。

1月28日、医療保護入院措置の実施のため
医療関係者、保健所職員および市職員など7名が被疑者宅を訪れました。

精神保健指定医が
「お母さんの依頼で診察に参りました」と告げ、
返事を待たず部屋に入りました。

ベッドで寝ていた男はこれに気付き「なんで入ってくるんだ!」と抗議、
これに対し指定医が法律を説明し、
「あなたは入院が必要であると認定されました」と告知すると
佐藤宣行被告は激しく暴れだしました。

その後、関係者の注意は騒動の間にも
動いていた様子があった毛布の塊に向けられました。

市職員が毛布をハサミで切り開くと
中から異様に色白な短髪の少女が現れました。

市職員は「あなたは誰ですか。話をしてください」、
「名前は?どこから来たの」などと問い掛けたが、
少女は口ごもり「気持ちの整理が付かないから」と話しました。

2月11日、体調回復した男は警察車両に乗せられて裏口から退院。

病院敷地内での逮捕は避けて欲しいという院長の要請により、
敷地から出た時点の午後2時54分、佐藤宣行被告は警察に逮捕されました。

新潟少女監禁事件の裁判で佐藤宣行被告に
懲役14年の有罪判決が確定しました。

そして、少女は発見された当初、体は酷く痩せ細っていて
歩けないくらい足腰も弱っていました。

現在は徐々に回復し教習所まで通えるようになったり
家族と旅行するくらい元気になっているそうです。

佐藤宣行の現在

実刑を受けた佐藤宣行はその後、
刑務所に収監され「お母さん、お母さん」と
引き離された母親を恋しがっていたそうです。

さんざんわがままを言い、暴言や暴行を加えておいて、
いざ一人になると泣いて縋ろうとするのは随分都合が良いものです。

母親は佐藤宣行に求められて
競馬新聞を差し入れに面会していたようだったが、
その後、認知症を発症して養護施設に入所してしまい、
2003年頃より面会していないようだ。

そして、求刑通りに14年の刑期を終えた佐藤宣行は
現在すでに出所しています。

刑務所にいる間に障碍者手帳を取得しているので
働けずとも最悪生活保護が取得出来てると思われます。

ただ、今どこで暮らしているかなど
行方までは知られていないそうです。

もう二度と起こって欲しくない事件です。

ネットでの反応

・お前に人権なんかねえ!
ってのは腐り果てた佐藤宣行のためにある言葉ですね

・実家に帰ったとか千葉市にいるとかいわれてますが
防犯強化とともに二度と事件起こせない身体にしてやるのが一番の対処

・佐藤宣行の顔面と手足を斧やマチェットで斬りつけて
傷口に熱湯大量にぶっかけて踏みつけて
除夜の鐘の刑とかいって熱した石や鉄に顔面から突っ込ませて
豊田商事の永野会長くらい苦しませてやるくらい必要なやつですね
佐藤宣行お前は本来100万回の死刑や

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