北九州監禁殺人事件の全貌…
マインドコントロールの恐ろしさを実感させられる…


北九州監禁殺人事件とは

2002年(平成14年)3月に
北九州市小倉北区で発覚した監禁、殺人事件。

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、
拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、
お互いの不満をぶちまけさせて相互不信を起こして逆らえなくし、
被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、
自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して
死体処理を行わせた
(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。

犯人は松永太死刑囚と緒方純子受刑者の2人。
どちらも当時40歳だった。

犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、
第一審で検察側は鬼畜の所業と容疑者男女を厳しく非難しました。

非常な残虐性・悪質性にもかかわらず、
事件に報道規制がかけられたとされ、
事件の知名度は高くありません。

犯人の松永太

この事件の最重要人物。
暗示的な言葉で直接、手を下さず殺人を実行しました。

表の顔は人当たりが良く、
口が達者(中学一年生で上級生を抑え校内弁論大会優勝)。

雄弁さを発揮して、学生の頃から教師を言い負かせた。
そして、流暢にウソを創作できる才能がありました。

裏の顔は鬼畜。金銭欲が強く、冷酷で残虐。支配欲が強い。
支配した人は奴隷以下の待遇にしても心が痛まない。
そのための心理学を独学で勉強。

相手が気が小さいとみると大声を張り上げ威嚇し、
肩書きの高い人でも自由にコントロールしていました。

犯人の緒方純子

1961年に農家の家に生まれ、後継ぎとして大事に育てられていた。
短大を卒業して幼稚園の教員に。

性格は優しく真面目でしっかりとしたごく普通の性格だったという。
しかし、1982年、緒方受刑者が18歳のころに
松永死刑囚からかかってきた電話で人生の全てが変わってしまった。

松永死刑囚は高校の卒業アルバムを見て緒方受刑者に会いたいと電話をかけてきた。
当時妻がいながら、
「君の写真が目に留まって、思わず電話してしまったんです」
と語ったという。

その後、数年に渡って何度か会う中で2人は男女の関係になった。

緒方純子の両親は不倫関係だった2人の交際を当初認めなかったが、
松永死刑囚の得意の話術などで次第に好印象を抱くようになっていく。

松永死刑囚はわざわざ婚約確認書を作成し、両親に渡したりしている。
しかし、その直後から2人の関係に変化が起こりだした。

そして始まった殺人事件

金に困った2人が目をつけたのは
逃亡中にマンションを仲介してくれた男性だった。

松永死刑囚は偽名を使って一流メーカーで働く
優秀なエンジニアを演じ、投資話を持ちかけた。

それに男性は取り込まれた。

松永死刑囚は男性の妻に対する不満などを聞いては煽り、
別居させ、過去に犯した悪事などを書面にするなどして弱みを握った。

男性は当時8歳の娘を連れ、彼らと共同生活をはじめるようになる。
この娘は17歳になり逃走するまで、9年間を2人と過ごすこととなる。

しかし、同居が始まると松永死刑囚と緒方受刑者は
男性の行動に難癖をつけては通電などの暴力を始めた。

体をペンチでつねる、殴る、剣道のそんきょの姿勢や長時間の起立。
食事はラードを乗せた白米のみで、浴室に閉じ込め、
真冬に冷水のシャワー、睡眠時間の制限など
ありとあらゆる虐待を加えた。

そしてその虐待は当時8歳だった男性の娘にも行われた。

男性と娘は虐待に次ぐ虐待で松永死刑囚のマインドコントロール下に置かれ、
口止め料・慰謝料・娘の養育費などと様々な名目で
多額の金を要求されるようになる。

男性は消費者金融や親、知人などから借金して金を渡し、
その総額は少なくとも1083万円にのぼった。

虐待を続けられた男性は次第に衰弱し、
共同生活をはじめて1年4か月後、1996年に死亡した。
享年34歳だった。

松永死刑囚は緒方受刑者に遺体を
バラバラに解体させ、刻んで捨てさせた。

家族をマインドコントロールし、殺害させあう

男性を殺害する前、
松永死刑囚は男性の知人の妻を結婚詐欺にかけ、
男性と同様に監禁し、金を奪って虐待をしていた。

男性が殺害され、知人の妻が逃走した後は
緒方受刑者の母親からの送金で暮らしていた。

しかし、その送金が1500万円を超える頃、
母親の蓄えが底をつき、送金がなくなった。

松永死刑囚は緒方受刑者に資金作りを要求したところ、
緒方受刑者は内緒で湯布院で働きに出た。

それに対して松永死刑囚が逃げたと思い込んで激昂し、
緒方受刑者の家族が巻き込まれることとなる。

松永死刑囚は緒方受刑者の家族に芝居をさせ、
緒方受刑者を呼び戻した。

さらに家族に対して

「緒方受刑者が男性を殺害して死体を解体し、
さらに女性を海に突き落として殺害した」

など事実を誇張して伝え、
家族から緒方受刑者を時効成立まで逃走させる知恵料などの名目で
結果的に4000万円以上もの金をだまし取った。

両親と妹がまず頻繁に松永死刑囚からマンションに呼び出され
金策などを話し合わされるようになった。

さらに、元警察官だった妹の夫まで松永に取り込まれ、
妹夫妻の娘と息子も含めた同居生活が始まってしまう。

松永死刑囚は妹の夫にわざわざ不満を言わせ、暴力を振るわせた。
家族に対しては、緒方受刑者の犯行に加担したとの負い目を感じさせるために、男性を殺害して処理した台所の配管などの取り替えをさせたりした。

また、独自のルールを決め、
家族全員をマインドコントロール下に置いていった。

そのルールとは松永死刑囚が指示するときだけとれる1日1回の食事。
水も松永死刑囚が許したときだけ、緒方受刑者が準備して飲むことができた。
ご飯の内容は炊事がいらないという理由から、ほとんど食パンか菓子パン。

そんきょの姿勢で食器を使わせず、
7〜8分以内に食べられなかったら通電や殴る蹴るの制裁が加えられた。

排泄や睡眠も松永死刑囚が支配し、自由な行動や会話は許されず、
一日中無言のまま足がむくむほど立たされたこともあったという。

もちろん知人や仕事先などとの連絡は一切断たせた。
また、家族一人一人にランク付けをして、
その時々によってランク付けを変えることでお互いに敵対心を生まれさせた。

逃げ場のない異様な環境で松永死刑囚は独自のルールと暴行と暴言、
そして通電などによって緒方受刑者一家を支配し、
何かを考えさせる余地を与えなかった。

緒方受刑者は

「父は『もうこうなったら松永さんに
ぶら下がって生きていくしかありません』と話していたことを覚えています」


裁判で語っている。

そして松永死刑囚はついに緒方家の命を奪っていく。
それも、自らの手は汚さずに。

日常的に暴行と通電が行なわれていたが、
父親の些細な言葉に腹を立てた際、
緒方受刑者に通電をさせると父親は前かがみに倒れ、
そのまま息を引き取った。

緒方一家は松永死刑囚の指示で父親の遺体をバラバラに解体。
これにより、一家にさらなる弱みを負わせた。

その後、日常的な虐待や通電、
そして夫を亡くし自ら処理をしたショックで
母親が奇声を発するようになった。

松永死刑囚は緒方受刑者に母親を浴室に閉じ込めさせた上、

「困るのはお前たちだろう」

と妹夫婦に問いかけた。

「よくなるかもしれないから、もう少し様子を見ましょう」

などの提案には耳を貸さず、
各々に役割分担を指示し、殺害させた。

そして、それまでと同様に遺体は解体され、捨てられた。

今度は肉体的、精神的なストレスから妹の耳が聞こえにくくなり、
松永死刑囚の指示によって夫の手で絞殺された。

その後、妹の夫が通電などの虐待によって死亡、
甥と姪も殺害された。

松永太の死刑確定

松永は一審、二審でも死刑判決を受け上告していたが、
2011年12月の最高裁判決の上告審判決で
宮川光治裁判長は

「犯行を主導し、刑事責任は重大極まりない」


被告の上告を棄却、死刑が確定した。

一方、緒方は一審で死刑判決を受けたが、
二審では無期懲役の判決を受けていた。

検察側は最高裁に上告したが、
最高裁はそれを棄却。犯した罪は重大だが、
松永から虐待を受け逆らえない状況だった点や
捜査の途中からは積極的に自白をした点、反省している点などを考慮して

「極刑を選択しがたく、無期懲役の量刑が著しく不当だとはいえない」

との理由で無期懲役が確定した。

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