ユダヤ人たちが庇った戦後戦犯に指名された日本人…
その理由を知ったら涙が止まらない…
第二次世界大戦中、6000人のユダヤ人難民に
「命のビザ」を発給したことで知られる
元外交官・杉原千畝の存在を知る人は少なくありません。
しかし、先の大戦で大勢のユダヤ人難民を救った
もう一人の日本人・樋口季一郎の名を知る人は、
残念ながらそう多くないのが現状です。
ユダヤ人たちが庇った戦後戦犯に指名された日本人
1888年、兵庫県・淡路島で5人兄弟の長男として生まれた季一郎さん。
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彼は1909年に陸軍士官学校へ進むと同時に並行して
東京外語学校でロシア語を学ぶほどの秀才でした。
そして31歳で陸軍大学校を卒業後、ロシア語が堪能だったことから、
当時日本がシベリア出兵を行なっていたウラジオストクへ赴任。
その後、得意のロシア語を活かしてロシア各地や
ポーランドを転々とした樋口さんは1935年に満州のハルビンへ着任。
そして翌年の1938年、この満州の地で彼の人生を大きく変える出来事が起こります。
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1938年3月、樋口さんの赴任先だったハルビンから
約500km離れた旧ソ連と満州の国境に位置する
シベリア鉄道・オトポール駅(現・ザバイカリスク駅)に、
ナチスの迫害を逃れて18名のユダヤ人難民たちがやってきました。
彼らがこの極東の地に降りたった唯一の目的。
それは中国の上海租界への亡命でした。
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しかし当時、日本が日独防共協定を結んでいたナチス・ドイツへの配慮から
満州国の外交部はユダヤ人難民に入国許可を下ろすことを渋っていました。
ユダヤ人難民の命が救われたヒグチルート
ソ連と満州の国境で身動きの取れないユダヤ人の運命は絶望的に思われましたが、
そのことを聞きつけた樋口さんが窮状を見かねて即日、
ユダヤ人への食料、衣類、燃料の配給を行い、
満州国内への入植や上海租界への移動の手配を行うよう指示を出したのです。
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その後、欧州を逃れてきたユダヤ人たちの間で
「ヒグチルート」と呼ばれるようになったこの脱出路を経由して
亡命を測るユダヤ人の数は増え続け、一説によれば4000人ものユダヤ人難民の命が救われたとする報告もあるそうです。
「ヒグチルート」はのちにドイツと日本の間で大きな外交問題に発展。
当時のドイツ外相リッベントロップから樋口さん宛に抗議文章が届くほどでした。
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関東軍内部でも樋口さんへの処分を求める声が高まる中、
樋口さんはユダヤ人への支援を続け、
司令部に出頭し当時の関東軍総参謀長・東條英機と面会した際には
「ヒトラーのお先棒を担いで弱いものイジメをすることを正しいと思われますか」
と反対派を強く批判。
その結果、ドイツからの再三にわたる抗議を「人道的配慮」と
一蹴する決定が下されるに至ったのです。
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そして「オトポール事件」から7年後の1945年、日本は敗戦を迎えます。
樋口季一郎救出作戦
終戦当時、占守島や樺太における対ソビエト軍戦闘指揮を行なっていた樋口さんを
スターリンは極東国際軍事裁判で「A級戦犯」にするよう指名。
しかし、いち早くこの動きを察知した世界ユダヤ人会議は、
世界中のユダヤ人コミュニティを総動員し、
在欧米ユダヤ人資産家によるロビー活動などをオーガナイズし、
世界規模の樋口季一郎救出作戦を展開。
その結果、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、ソ連からの樋口さん引き渡し要求を拒否、
身柄を保護するに至ったそうです。
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樋口さんへの恩返しともいえるユダヤ人たちの行動に心を動かされますね。
樋口さんが30年間籍を置いていた岐阜県大垣市にある丸の内公園には、
平成21年12月8日にイスラエル駐日大使から寄贈されたオリーブの苗木が植えられています。
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杉原千畝さんと同様にユダヤ人の命を救おうと奔走した
樋口さんの名が日本中に知れ渡る日が来ることを切に願わずにはいられません。