様々な疑惑が残る1900年代の脳外科手術…
受けた患者たちの写真が衝撃的だった…


様々な疑惑が残る1900年代の脳外科手術


1899年から1932年まで医業を営んでいた
脳外科のパイオニアのハーヴェイ・クッシング。

大胆で斬新な手術法を生み出し、近代神経外科の父と呼ばれていました。
今日、手術室で使われている道具や技術や手順の多くは
19世紀初めにハーヴェイ・クッシングが開発したもの。

自らの名を冠したクッシング病を発見し、
外科科学への貢献に尽力しました。

今回はハーヴェイ・クッシング医によって
脳外科手術を受けた患者たちの衝撃的な写真を紹介します。

閉ざされた部屋にあった恐ろしい写真

30年以上の間、
エール大学の学生たちは寄宿舎ハークネス寮の地下に
ある閉ざされたドアを壊し、忍び込んだそうです。

その薄暗い部屋の中で見つけたものは
金属製の棚に置かれたたくさんのホルマリン漬けの脳だったが、
さらにここには興味深いものが保管されていました。

それは初期の脳外科手術を受けた
最初の患者たちのおびただしい数のモノクロ写真でした。

アメリカ、コネチカット州にあるイェール大学の地下で
1900年から1930年までの間にハーヴェイ・クッシングによる
脳外科手術を受けた患者たちの写真が発見されました。

クッシングは脳外科分野で画期的な技術を開拓し、
脳外科手術の父として広く知られています。

見つかった写真の中には頭蓋が膨張した乳幼児や
縫合の傷跡だらけの頭をした人など異様なものも含まれています。

脳の標本のことはよく知られているが、
こんな写真が埋もれていたことは驚きでした。

神経科学の先駆者であるクッシングが1939年に亡くなったときに
脳の標本と共にこれらの写真もイェール大に残したようです。

この1万枚にもなる患者の写真は徐々に一般に公開されていて、
いずれ全部をデジタル化するための
大がかりなプロジェクトが進行しています。

しかし、ほとんどの患者の身元はわからないまま。

写っているのは1900年から1930年代までの間に
クッシングの治療を受けていた患者たち。

クッシングセンターのテリー・ダグラディによると
クッシング腫瘍登録所の分析診断のために撮影されたのだそうです。

収蔵されていた脳の中には1900年代初頭の有名な人物、
レオナルド・ウッド少将の脳もあります。

彼は医師でセオドア・ルーズベルトの友人だった。
サン・ホアン・ヒルの戦いでラフライダーを率いたし、
キューバとフィリピンの統治者だったこともあります。

ウッドは1904年、40代のときに左足に痛みを訴え、
数年後に脳に腫瘍が見つかりました。

1910年にジョンズ・ホプキンス大学で最先端の手術を受け、
クッシングが大きな良性の腫瘍を取り除いたが、
それは脳壁にできる髄膜腫だということがわかりました。

ウッドは回復して再び軍の参謀総長として従軍し、
1920年には大統領選への共和党候補に立候補しました。

埋もれていた写真からは神経外科の魅力的な時代が
垣間見えますが、様々な疑問もわきます。

胸に手を当てるポージング

写真の中には頭蓋が膨れた乳幼児や縫合の傷跡だらけの頭、
右手を胸に当ててカメラのレンズを凝視する患者など
異様なものもあります。

胸に手を当てている患者が多いのは
当時、医師たちが手が健康状態を示すと信じていたからだそうです。

体の中の障害や病気は手を通して外に現われ、
皮膚の色素変化、爪や指の変形、
間接の小結節の色や大きさを反映するというのです。

所蔵されていた写真のわずか4分の1、
約2500枚が完璧に分類されたが、
将来的には検索可能なデータベースとしてまとめたいと
ダグラディは言っています。

その他の様々写真

学生がふざけて侵入した部屋の中には
脳医学の貴重な資料が眠っていました。

まだ患者情報と顔、場合によっては
脳と腫瘍の標本とを一致させている最中で
医療情報の一部のため患者の名前は明かすことはできないそうです。

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